欲望によるリセット効果
規則正しく自分を律して過ごせるのであれば、それに越したことはありませんが、生活を乱してでもやりたいことがある場合はどうすべきでしょうか。
もちろん大前提として、法を侵さない、人に迷惑をかけないというところは守らなければいけませんが、やりたいことが勝つのであればそれはそれで良いのではないかと考えています。
もし自分を律して過ごすことが一番大事であれば、そのやりたいことは自分で制御して生活を乱さない範囲で取り入れることが出来るでしょう。
しかし、やりたいことに関する欲望が強ければ、やりたいことを優先して生活を乱すことになるかもしれません。
生活を乱したときには、それをどう捉えるかが大事です。
何度か主張している内容ではありますが、意識すべきポイントが2つあります。
1つはやりたいことを優先した自分を肯定すること。
もう1つはやりたいことによって乱された、自分の習慣の重要度を再検討することです。
自分の生活を乱してまでやりたいことが出来るということは、価値のあることだと思います。
例え周りやともすれば冷静な自分にとっても価値のないことだとしても、その時の自分にとっては最優先したい内容なのですから、そこは肯定してやってしまえば良いのではないでしょうか。
自分が今一番したいことをして満足をしたならば、それは素晴らしいことだと思います。
そうならないのだとしたら、それは一時的な欲望であり冷静な自分にとって価値のないものだからだと考えられます。
そうならないようにするために重要なのは、やったことに価値を見出すことです。
例えやったこと自体に価値がないのだとしても、その対象に触れ、感じたこと気づいたことには価値があります。
得られたことを明確にし、そこに価値を見出すことで、無為に過ごしたのではなくやりたいことをやりきった結果、自分に価値のある気づきがあったと終われるようにしましょう。
そうすることで好きなことに夢中になった自分を肯定できるのではないかとも思います。
またやりたいことに夢中になっていたならば、普段習慣としていたことでやれたこと、やらなかったことが出てくるでしょう。
この無意識での分類は、自分の価値観を客観視する上でとても重要です。
どんなに夢中になっても睡眠や食事などは最低限取るでしょうし、仕事のような社会的な責任は果たすでしょう。
そして自分の中でやらなきゃいけないと思う習慣については、途切れさせまいという意識が働くはずです。
やりたいことに夢中になることで乱された自分の生活習慣から、自分にとって何が重要なのか、どんなにやりたいことがあっても譲らなかった部分はどこなのかを振り返る事で、なりたい自分、あるべき自分のアップデートが出来るはずです。
やりたいことがあるということは素晴らしいことです。
それが自分の生活習慣を乱すようなレベルであるならば、やった後に振り返って自分のアップデートに繋げましょう。
また価値がないことだと思う自分がいるのであれば、価値を見出すよう意識して最中だけではなく事後も満足できるようにしましょう。