やりきらない

日々の生活で切りが良いところまではやるという意識は持っていませんか。

私はこの考え方は改めた方が良いものだと思っています。

やり残しはあって当然という意識で生きたほうが、過ごしやすいのではないでしょうか。

なぜやり残しを許容するのかというと、思っているよりはやり残しがある状態のほうが多いからです。

やり残しがある状態がスッキリしないということは、やり残しがない状態に執着しているということでしょう。

スッキリすることに執着するのをやめれば、やり残しがない状態よりも頻度が多い、やり残しがある状態に対してストレスを感じることがなくなります。

確かに、掃除をしっかりして部屋が綺麗になったら気持ちが良いですし、ゴミをすべて捨てればスッキリします。仕事だって区切りがいいところで終わりたいから頑張ることもあるでしょう。

しかし実際には掃除が終わって綺麗になったところですぐに汚れますし、ゴミ捨て直後に次のゴミは出ていますよね。仕事も例え一時的に切りが良かったとしても、退職するまで仕事は続きます。

そもそもなぜ我々はやりきることに拘るのでしょうか。個人的な認識としては学校生活で培われたものが根付いてしまっているからなのではないかと思います。夏休みの最終日に宿題を終わらすなんて言うのは世代を問わないエピソードなのかなと感じていますが、学校生活の中で宿題やレポートの締め切り、あるいは定期テストに合わせた勉強など、節目節目を意識してそれに合わせて動くというのが当たり前になっているのではないでしょうか。この意識から離れられず、切りの良いところまでやるというのがある種の強迫観念になっているのかもしれません。

このやりきるという意識を断ち切り、終わったならいっそ次を始めて途中にしてしまうくらいの生活が当たり前にしてしまえば良いのではないでしょうか。実際仕事が出来る人は締切を気にせず前に前に終わらしたり、逆に後ろに伸びても気にしてない印象があります。

切り良く終わらすということへの執着を無くすことで、やらなきゃいけないという義務感や、やらされている感から解放され、日々の生活の中で感じる不快感を減らすことが出来ます。

より良く生きるためには、不快感を減らし気持ちよく過ごすことが重要です。自分を不幸にする心の中の拘りがどこからくるのかということを考え、必要ない拘りがあれば捨ててしまうことを心がけることが大事なのではないかと思っています。

時間術

Posted by nemuio