普通を主張するときに意識すべきこと
周りの人、例えば家族や友人などに、普通にして欲しいと思うことはありませんか。自分にとって当たり前の振る舞いをしていない人を見ると、つい不快になってしまうでしょう。それが身近な人であれば、直して欲しいと思うのは自然なことです。しかしあなたにとって当たり前のことでも、相手にとってはそうでないかもしれません。価値観が違うのに普通を押し付けてしまうと、意見がぶつかってしまうでしょう。そうしたときに、自分の普通が周りには通じないというのを理解するのが大事です。普通は周りと共通ではないことを意識し、周りの普通を理解する努力をするようにしましょう。
もはや普通は成り立たない
かつての日本では所属するコミュニティ共通の価値観があったのだと思います。同じような生き方をする人、家族が固まっていたので、価値観が大きくズレることはなく、自然とコミュニティの価値観に近づいていたのでしょう。そしてそのコミュニティの価値観こそが普通だったのだと思います。
しかし今の日本は多様化しています。一人が働きもう一人が家事をする家族もあれば、共働きの家族もあります。少子化高齢化が進みましたから子供の有無やお年寄りの介護の有無も差があるでしょう。仕事にしても一つの勤め先で終身雇用というのは普通ではなくなってきています。それぞれの人が置かれている環境が違うのですから、同じ価値観を持つことは難しいでしょう。価値観が多様化した今となっては、普通ということ自体が成り立たなくなっているのかもしれません。
周りの普通を理解する努力は必要
価値観が違って普通が成り立たないのであれば、周りに押し付けず自分の普通を貫くべきなのでしょうか。私はそうは思いません。周りと自分の普通が違うのであれば、周りの普通を理解すべきです。例えば一定以上の年代になると、冠婚葬祭のような慣例にこだわる人は多いでしょう。自分にとって冠婚葬祭はどうでもいいからと慣例に乗らないでいると、余計な不和を招いてしまいます。周りの普通を理解し、必要に応じて取り入れることは、円滑なコミュニケーションのために必要なのです。
まとめ
あなたにとって普通なことでも、人にとっては特殊なことなのかもしれません。育つ環境も価値観も多様化した今となっては、周りと価値観を共有すること自体が難しいのです。人に普通を求めるのは良いですが、それでぶつかったのであれば、相手との価値観の違いについて意識しましょう。自分と周りが違うのであれば、相手の普通を理解することが重要です。特に慣例などは知っておいたほうが良いでしょう。普通を主張せず、周りとの違いを理解し、必要に応じて周りの普通を取り入れる。そういう振る舞いをすることで、円滑なコミュニケーションを維持することができるのです。